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加藤清正の城との関係

加藤清正について

加藤清正は1562年に肥後国で生まれ、のちの肥後国・熊本藩の初代藩主として頭角を現した人物です。
羽柴秀吉に仕えて様々な武勲を受けた人物でもあります。
戦でその能力を発揮するだけではなく、誠実な人柄と頭の回転の良さから治水事業や朝鮮半島の大規模な出兵でも重要な役割を果たしています。
では加藤清正と城との関係を紹介していきたいと思います。

加藤清正と城

そんな加藤清正と城との関わりは深く、10以上の城の建設に関わったと言われています。
石垣の構築に建造深く、名古屋城や江戸城は清正公流石垣とも呼ばれています。

そして加藤清正自身が城主を務める熊本城は日本を代表とする名城でもあります。
天然の掘、天守や多数の櫓、20mを超える大きな門を備えた全国でも大規模な城を建設しています。
防御性に優れ、複雑に入り組んだ石垣や通路、天守までの道の通りにくさなど様々な仕掛けが施されています。
とても強固な構造で、1877年の西南戦争時にも籠城戦でその威力を存分に発揮しています。